運動が苦手でも、筋トレの才能はあるかもしれない

自分は運動が苦手だから。

そう言って筋トレを避けている人は意外と多い。

学生時代、球技が苦手だった。足が遅かった。体育が嫌いだった。

その経験から、自分は運動に向いていないと決めてしまう。

だが、それは本当に正しい判断だろうか。

筋トレはあなたが思っている「運動」とは違う

多くの人が筋トレを避ける理由のひとつに、運動への苦手意識がある。

だが、ここには大きな誤解がある。

筋トレは、球技ではない。

サッカーのように足を使わない、バスケのように身長も必要ない、野球のようにバットも振らない。

体操競技のような高度な身体操作も必要ない。

もっと単純だ。

重りを持ち、狙った筋肉に負荷をかける。

本質はそれだけである。

しかも多くの場合、一人でやる。

誰かと競うわけでもなければ、チームに迷惑をかけることもない。点数で評価されることもない。

それなのに、過去の「運動が苦手だった記憶」で避けてしまう。

それは少しもったいない。

筋トレの適性は運動神経では決まらない

筋トレで結果が出るかどうかは、運動神経だけで決まらない。

もっと言えば、筋トレにおいて本当に重要なのは、筋肉がつきやすい体質かどうかである。

そして、それを左右するのは運動神経とはまったく別の要素だ。

― ホルモンの生産能力
― 筋肉の回復力
― 消化吸収をはじめとする内臓機能

こうしたものは、運動神経とはほとんど関係がない。

学生時代スポーツ万能だった人が筋トレで伸びるとは限らないし、逆に運動が苦手だった人が驚くほど変わることもある。

才能は挑戦して初めて見つかる

ここが重要だ。

多くの人は、才能を最初から知っているものだと思っている。

だが実際は違う。

才能とは、やってみて初めて見つかるものだ。

何もしていないのに、自分に向いているかどうかはわからない。

筋トレも同じである。

本当に正しく継続してみるまで、自分に適性があるかどうかはわからない。

にもかかわらず、

― 自分は運動が苦手だから
― 体育が嫌いだったから
― 昔うまくいかなかったから

そうやって可能性を閉じる。

これはかなり危険な思考だ。

過去の自分で未来を決めるな

過去の経験は参考にはなる。

だが、判決ではない。

子どもの頃の自分と、今の自分は違う。

― 身体も違う
― 思考も違う
― 環境も違う

それなのに、昔の失敗を理由に挑戦しない。

それは、自分で未来を狭くしている。

筋トレは、その思い込みを壊してくれる。

自分は意外とできるかもしれない。

思ったより変われるかもしれない。

そういう発見がある。

覚えておいてほしい。

才能は、待っていても見つからない。

出会って初めて、自分のものになる。